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握り寿司はなぜ2個で出されるのか? なぜ1貫、2貫と数えるのか? [グルメ]

イタリア人(や海外の人)と寿司を食べに行った時に、
よく聞かれる疑問が、
「なぜ、握り寿司は、二個ずつ出てくるのか?」
そして、「なぜ、握り寿司は、1貫、2貫と数えるのか?」

皆さん、ご存じですか?

1月20日、産経新聞の「つれづれ」で、
《寿司はなぜ2個揃い?》と梶山龍介さんが書かれています。
イザでは、《寿司屋のカウンターなぜ2個揃い?

梶山さんは、《寿司は大工や左官ら力仕事の職人さんの食べもので、
ネタも大きくシャリもお握りのようだった。江戸時代に食べやすいように
小型化、洗練し、2個に分けられた》という説を聞きます。
それに対しては、《だが、それならば単に小さくすれば良いだけで、
なにも2個揃いにすることはないだろう。》と否定。
そして、持論を展開します。
それは、《日本の伝統的食習慣のタブーは、肉食と一膳飯だった。》
つまり、《寿司もこの「一杯忌避」の延長ではないか。》というのです。
このタブーが何に由来するかというと《いずれも仏教的な忌避。
死人の枕飯(まくらめし)が一膳盛り切り、出棺の前に近親者が食べる
出立飯(でたちのめし)も一杯限りだったから。》
そして、《一膳飯屋は例外的。》と。

西武池袋線練馬駅北口前にある「酒肴所やかた」の
ご主人が書いている《やかたの厨房から171号~180号》の中の
《一七五号。「二八の大きな謎」平成十四年十月十二日》には、
《さて、日本の伝統的食慣習のタブーの両横綱は、肉食と一膳飯でした。
ご飯を一杯しか食べないのが好ましくないとされたのは、肉食同様に仏教との
関わり合いです。 死んだ人の「枕飯(まくらめし)」が一杯盛り切り、出棺の前に
近親者が食べる「出立飯(でだちのめし)」も一杯限りですから、
普段は一膳飯は禁忌でした。 さらに波及して、お嫁入りで実家をたつときも
一膳飯だったのです。
肉食の例外に「薬喰い」があるように、外食にも煮染めなど、簡素な惣菜で
盛り切りの飯を出す安直な一膳飯屋がありましたが、
これは一杯忌避の例外中の例外といってもよいでしょう。》とあります。

1月20日、日本経済新聞土曜版の中に
「ニッポン適量考」との記事がありました。
《名店の手打ちそばは量の割に値段が高いという印象がある。》として、
《では、そばの量はどれくらいなのだろう。》と、
東京の名店のそばの量を調べているのです。

そこから、店とざるそば1枚の重さと値段をピックアップします。
虎ノ門の巴町砂場…120グラム、840円
麻布十番の永坂更科布屋太兵衛…約200グラム、840円
浅草、雷門の並木藪蕎麦…約100グラム、650円
淡路町の「かんだやぶそば」…130グラム、630円(せいろうそば)
そして、《全体に量が少ないように見える。》
《その理由について「そばの起こりは間食。小腹がすいたときに
食べるものだったので、そもそも一枚の量は多くなかった」と説明している》
のは、《かんだやぶそば四代目おかみの堀田ますみさん》です。

このそばの量についても、産経新聞の梶山さんは記述しています。
《お寺の門前で商う蕎麦(そば)屋さんでは2杯が常識。現在でも老舗の店で、
盛りや蒸籠(せいろ)の量が少ないのは別に高級感を出すのが目的ではなく、
2杯が常識だった江戸の名残とされる。》と。

さらに《一七五号。「二八の大きな謎」平成十四年十月十二日》
でも触れられています。長文になりますが、引用します。
《蕎麦・うどんの二杯ワンセットが定着したのは、ただ空腹を満たす兼ね合い
だけではありません。 その盛り方が少な目だったことが二杯ベストを演出して
いました。 一般にお代わりの二杯目は、モリでもカケでも一杯目より蕎麦を
二~三本少なく入れました。
 最後の一口まで美味しく食べてもらうための、いかにも江戸文化らしい
行き届いた気配りなのですが、一杯目がゴテゴテに盛ってあるのでは、
二杯目を少なくしてもそのことがわかりません。 逆説的にいえば、二杯目は
たった二、三本減らすだけで、その心遣いがありありと生きるほど、
一杯目もそれなりに少量だったのです。
このように、盛り方が少なかったのはなぜでしょうか。 蕎麦は食事代わりに
することもありましたが、うどんや蕎麦切が初めは菓子舗で作られ
売られていましたから、その後もどちらかというと、食間や夜食などの
ちょっとした腹の虫抑えがずっと多かったのです。とはいえ一度に二杯が
ベストですから、本来ならば一杯に盛り上げてもよい分量を二杯に分けて
盛ったので少なかったのです。》
そして、わざわざ一杯を二杯に分けるのは、「ことさら小分け」といい、
《日本の食文化の一つの特徴》なのだそうです。
例えば、猪口で酒を飲むのは《小分け文化の典型》と。

ところで、肉食のタブーは納得するとしても、疑問なのは、
一杯忌避は、仏教による忌避なのでしょうか?
《浄土真宗本願寺派 阿久保同行の部屋》の
《浄土真宗のお葬式の誤解》中の《出棺時に茶碗を割るの?》では、
一膳飯と個人が使っていたお茶碗を割る行為について解説しています。

《浄土真宗では、出棺の時に茶碗を割る必要がありません。》として、
一膳飯と茶碗を割る行為は、故人の霊魂は、故人が生前に愛用していたもの
にとりつくと恐れられていたため、それを防ぐ目的で行われていたと説明。
けれど、死んだ時は、帰ってくるなといい、お盆には、霊を帰ってこい
というのは、身勝手だと非難。
結論として、こうした行為は、
《元々仏教とは関係のない「日本古来の霊魂観」に基づくもの》というのです。
仏教ではなく、日本特有のものだったのですね。

広辞苑によれば、
《いちぜん‐めし【一膳飯】(1)一椀ずつ盛りきりにして供する飯。(2)出棺の際、近親者が永別のために食べる一杯ずつの飯。そのため平常は一膳飯を忌む。出立(でたち)の膳。いっぱいめし。―‐や【一膳飯屋】
いちぜんめし‐や【一膳飯屋】盛りきりの一膳飯を食べさせる飲食店。
簡易食堂。》
平凡社「日本大百科全書」によれば、
《一膳飯屋いちぜんめしや 江戸時代には、道中の立場(たてば)茶屋などで「一膳飯をあがれ」と呼び込んだ粗末な飲食店があり、一方では都会の下層労働者を相手とした下級飲食店があり、いずれも一膳飯屋とよばれた。下級な食事法と考えられていた、一杯限りの盛り切り飯を食べさせたのが語源である。~後略》
《飯屋 めしや1630年代に、京には、路傍などで食器に飯を盛り切りにした一膳(いちぜん)飯を、庶民相手に食べさせる一膳飯屋があった。また、1657年(明暦3)の江戸大火以後に浅草で奈良茶漬(ちやづけ)飯を食べさせる茶屋の茶漬飯屋ができた。19世紀に入ると、江戸、大坂、京で茶漬飯屋や一膳飯屋が繁盛した。旅籠(はたご)屋などでも一膳盛りという下直(げじき)な昼食を出すようになった。多く都市下層民を対象としていた。~後略》
大衆食の会代表、遠藤哲夫さんの著書《大衆食堂の研究
遠藤さんによるウェブの《食堂の歴史あれこれ》の記述も。

本来の仏教の教えではないにせよ、日本に特有の霊魂観が
仏教に持ち込まれ、一膳飯はタブーであり、それをするのは下等
という考え方が広まったようです。

この寿司2個ずつを説明するのに「一杯忌避」説はなかなか面白いのですが、
一般には(梶山さんが否定した)二分説ともいうべき説が有力です。
そして、これは「寿司を数えるのになぜ1貫、2貫というのか?」
(「1貫は1個か2個か?」)との疑問とも関連します。

寿司店「うまい鮨勘」の《Q2.おすしの一個と一貫は違うの?》では、
《Q2. おすしの一個と一貫は違うの?
A2.違います。
 握り寿司は、江戸時代に屋台で売られたのが始まりで、当時の寿司は
大変大きくて丁度一文銭を千枚集めたほどの嵩(かさ)が有ったとのこと。
「貨幣の単位では一文銭千枚で一貫となるところから、この大きな寿司一個を
一貫と呼ぶようになった」これが「貫」の由来とされています。ところが、
当初の寿司はあまりにも大きく、やがて二つに分けて客に出すように
なりました。
つまり、寿司の単位「貫」は寿司の大きさを表現したもので、
個数を表現したものではないのです。
ですので「一貫とは、一個か二個か?」が店によってまちまちなのです。
うまい鮨勘では混乱を避けるため、「貫」での表記は用いず、全て「個」での
表記としております。》とあります。

同様な記述に、
《ぬぬぬ?》の《2カンの秘密 @寿司はなぜ2個ずつ出てくるのか?
《Rスズキの毎日が大食い》の《寿司一貫は1個か2個か》。

近年、話題となった書物《数え方の辞典》では、
1貫は2個を原則として、慣用で1個と記述しています。

なおこれは、ある寿司屋の職人さんから聞いた話ですが、
かつて「貫」という数え方は、寿司職人が使う隠語で、
一般人はあまり使わなかったそうです。

日本語を習っているイタリア人から、
難しいとこぼされるのは、この物の数え方です。
1から10までの数え方を覚えるだけでも大変。
いち、に、さん、し…。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、
やっつ、ここのつ、とお(つばなれ)
一人、一個、一羽、一匹…。
そんな時は、「日本人だって難しいし、わからないんだから…」
と慰めることにしています。

さて、「ことさら小分け」、一度に二膳、二杯で思い出すお店が二軒あります。

一つ目は、大阪の法善寺横丁にある「夫婦善哉」という有名な甘味屋さん。
こちらは、店名ともなっている夫婦善哉(ぜんざい)が有名なのですが、
一人前なのに二杯で出てきます。なぜ二杯なのか?

ホームページの「夫婦善哉の歴史」の記述によれば、
《「へぇー、こら変わっとる。なんで二つや」。聞かれると、実際にお店を
切り盛りしていた重兵衛の妻「こと」と娘「かめ」はニッコリ笑って、
「おおきに。めおとでんね」と答えたといいます。実際は、二つのお椀に
分けた方がたくさん入っているように見えると考えたからなのですが、
これが大当たり。その後の「夫婦善哉」へと繋がっていったのです。》

そしてもう一つが、東京・根岸にある江戸時代から続く
豆腐(富)料理の老舗「笹乃雪」。(音が出るので注意)

こちらの名物料理「あんかけ豆富」も、最初から二杯で出てきます。
「なぜ、二碗なのか?」は、店のホームページに書いてあります。
《あんかけ豆富二碗の由来
 創業当時の商いは、あんかけ豆富一品のみでしたが、
新しいもの好きの江戸っ子たちは初めて食べる、あんかけの絹ごし豆富に
競って何杯も碗を重ねました。
 上野宮様がご来店になりました折も大変美味しいと仰せになり、
これからは二碗ずつ持って来るようにとお言葉を頂き、
以来お客さまには二碗一組でお出しするのが当店の慣わしとなっております。》

美味しいから、二碗ということですね。
ということは、もともと一碗で出てきていたわけです。
となると「一碗忌避」も…。

絹ごし豆腐はこの笹乃雪が発祥とも。
となると《髪が薄めの方(→あたしもか)に朗報? 
豆腐と○○で育毛。
》で、
《豆腐店の老舗といえば「森嘉」、中学を出て以来、
豆腐作り一筋の、五代目のご主人が、豆腐作りを語ります。
まさに道を極める「豆腐道」です。
ちなみに現在の京豆腐、絹こし豆腐は、ここの先代が生み出したもの。
1959年(昭和34年)のことなんですね。》と書いたが、それはどうなる?

ドイツで豆腐が爆発的人気 世界各地でも…。
これからは豆腐屋が狙い目
》にも、笹乃雪がちょこっと出てきます。

まとめらしきもの
☆2個ずつ出される理由
    有力説…当初は大きめのものを1つ。それを客の要望で2つに。
    「一杯忌避」説…1杯(碗)はタブーなので2つ出す。
  (他に、1つでは立たない説、勘定を簡単に説など様々あり)
☆なぜ貫と呼ぶか? 貫は何個?
    当初の握り寿司の大きさがお金の1貫と同じくらいだった。
  それを上記のように二つに分けたので、
  1貫は2個を原則として、慣用で1個。

なんだか、まとまりのないだけのだらだらした文章になってしまいました。
最後までお読みいただいた皆さん。本当にありがとうございます。


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